指定校推薦の退学者が増加中_高校と大学の”取引”に生徒は不在

はじめに──選ばない大学、選ばせない高校

指定校推薦は、高校の推薦によって大学に入学できる仕組みです

一見、「高校で真面目に取り組んだ生徒を評価する制度」にも見えますが

本来、大学が責任を持って行うべき入学選考を、高校に丸投げしている側面があることは、あまり語られていません

大学は、生徒一人ひとりの詳細まで見て合否を決めるわけではありません
そのため、実質的に「入学者を選ばない」状況です

高校は、生徒一人ひとりの資質を優先した進路指導でなくなっている例も

そのため、大学に誘う「選ばせない進路指導」も存在します

この問題の背景には、次の“三つ巴”があります

1.私立大学の6割が定員割れの状態
・大学は、「定員を埋めるために推薦枠を拡大」し

2.偏差値の低い高校でも、大学進学実績を作りたい
・高校は「とにかく大学に送り出すこと」が目的になり

3.できれば子どもを大学に行かせたいと願う保護者
・子どもの適性より「大学に行けるなら」という安心を優先
「提示された大学に行く」だけの存在になってしまう

この三要素が、絶妙のバランスで保たれてきたのが、指定校推薦枠の実態です

指定校推薦の裏にある「進学取引」でバランスが崩壊

そんな、複雑な進学構造と心理が“進学取引”を生み出しています

高校と大学の間で交わされる“指定校推薦”は、
本来は「相性の良い生徒を推薦する仕組み」のはずでした

しかし今は、

・大学は、
定員割れを避けるため、“取引先である高校の枠”をどんどん広げる

・高校は、
取引先である大学の進学実績を増やすため、“要望に応えて”生徒を送り出すという“取引関係”になってしまっています

それでも、これまでは何とかバランスが保たれてきましたが、“人数合わせ”の進学は限界点を超えてしまいました

ついにバランスが保てなくなり、退学者が増える結果となってしまいました

置き去りにされている、生徒と保護者

そもそも、勉強が得意なわけでもなく、学びたい分野も見つかっていない生徒が、

三者面談などをきっかけに
「大学に行けるのか」と“進学の夢”を見せられ、
これまで具体的ではなかった大学進学を目指してしまう

でも、その夢は「誰かの数字のために作られた幻想」だった──。

進学した結果…

大学に入ってから、
「なんか違う」
「講義がつまらない」
「意味がわからない」
「行く意味ある?」
そう思っても、もう後戻りできない。

そして、最悪の結末──退学

こんなことが毎日、数えきれないほど起こっています

「指定校推薦で進学したけど、やめたい」が急増中

最近、指定校推薦で大学に入学したものの、早々に退学を選ぶ学生が増えています

中には、入学から半年も経たないうちに「もう無理かも」と感じる人も

これは、高校と大学、そして保護者の“思惑”が生んだ構造的な問題なのです

退学者は“本人のせい”だけではない“ある意味で被害者”

こうして退学した学生の中には、
「自分が悪かったのかも」と責める人もいます

でも、そうした構造に巻き込まれてしまった時点で、ある意味では“被害者”でもあるのです

もし、指定校推薦がなかったら──
もし、「合っているか」をちゃんと見極めていたら──

もしかすると、その大学には進学しなかったかもしれません

誰かが生徒の立場を考えていれば、止められたルート

・大学が推薦枠を安易に広げなければ

・高校が大学進学実績の数字さえ追わなければ

・親が“大学ありき”で判断しなければ

生徒が無理に大学に行く必要はなかったかもしれません

じゃあ、どうしたらいいのか?

この構造を止めるには、保護者と本人の意識の変化が必要です

保護者は、

・子どもが「大学向き」かどうか、本気で見極める

・「とりあえず大学」は、本人のためにならないと理解する

・「誰でも大学に行く時代」の中でも、自分たちは“考えて進学する”と決める

高校生本人も、

・「やりたいことはあるか」

・「続けられそうな分野か」

・「実習が多い専門学校の方が向いているのでは?」

といった視点で、自分自身と向き合う必要があります

進学先の決定に「本人」が不在では、続かない

指定校推薦そのものを否定するわけではありません

でも、そこに生徒本人がいないまま“枠”や“実績”だけで進学が決まるのは、やはりおかしい

進学とは、その先を自分で歩けるかどうかがいちばん大事です

「高校と大学の関係性」ではなく、

「子ども自身の意思と特性」を軸に、進学を見直すタイミングが来ています

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